子育ては自殺行為か貴族の遊びと呼ばれる日が来る

とある打ち合わせに向かう電車内のこと。ある駅で若い夫婦がベビーカーを押しながら入ってきた。二人ともジーパンにTシャツと、いかにも若者らしいカジュアルな服装で、奥様はもう一人のお子さんを抱っこしている。夏の暑さも手伝って、奥様はタオルが手放せないようだ。すぐに席を譲ると、丁寧にお礼の言葉を伝えてくれた。二人ともにこやかな方で、移動中の車内で数分だが会話をした。

今日はお休みなので、お子さんを連れてとあるイベント会場に向かっているとのこと。かなり体格の良いご主人は土木系の作業員だという。たしかに日焼けしており、凛々しさに拍車がかかる。「炎天下での仕事はきついが、子供も可愛いし頑張れる。ただ、子育てが一段落したら○○(奥様のお名前)もパートに復帰して欲しい」と笑いながら言う。とはいえ若い二人はデジタルネイティブ世代らしく「リーズナブルに家族で楽しめる外出先を、妻がすぐにネットで見つけてくれることがありがたい」と喜んでいた。

ご夫婦が降車する駅に着き、ベビーカーを下ろすのを手伝おうとすると、ご主人は「大丈夫ですよ」とたくましい腕でひょいとベビーカーを抱え、会釈をしながら降りて行った。

少し穏やかな気持ちになりながら、打ち合わせ先の最寄り駅である広尾に向かう。待ち合わせ時刻より15分ほど早くカフェに到着し、パソコンを開こうとすると、再度ベビーカーを押しながら若い奥様が隣の席にやってきた。

待ち合わせ時刻より15分ほど早くカフェに到着

スペースを広く取れるように、こちらの机と席を少し移動させていると、奥様の風貌がわかる。さすが広尾マダムとでも言うべきか、誰もが知る海外有名ブランドのバッグを持ち、時計などのアクセサリーも見るからに高級そうだ。この奥様もまた「ありがとうございます。すいません、失礼します」と笑顔で答えてくれた。

ふとスマホを見ると、担当が15分ほど遅れるとのこと。時間があるので、パソコンを開いてメールの返信をしていると、隣の奥様の友人と思しき女性が入店してきた。その方もベビーカーを押している。店内は冷房が効いてはいるが、二人とも汗一つかいていない。「遅れてごめんね。主人に送ってもらったんだけど、停めるのに時間がかかって」。「大丈夫よ、私もタクシーがつかまらなくて今来たところ」。なるほど、広尾マダムは電車に乗るわけもないか…。

パソコンの画面に向かい、作業を進めていると、すぐ隣なので会話が耳に入ってくる。どうやら、先に入店してきた奥様のご主人は外資系の企業に勤務しているようで、あとからやってきた奥様のご主人は医師。二人とも教育熱心な奥様らしく、子育てについて話が及んだが、その内容には少し驚きを隠せなかった。

「子供には3ヶ国語を習得させたい。これからは中国語が英語より大事」。「医者は激務だから母親としては継がせたくないが、本人が望むなら医者にする」。さらに聞いたこともない横文字の専門塾の話や、○○のベビーシッターが友人間で人気がある等々。

一番驚いたのは、十分裕福に見える奥様たちは、二人目のお子さんを生むかについては考えどころという。経済的不安はないにせよ、十分な教育をするにはかなりの金額が必要だから、しっかりと計画しないといけないと言っていた。もちろん、おっしゃることは全て正しい。

ここには見えない壁がある

ここには見えない壁がある

そうこうしているうちに担当がやってきた。汗をハンカチで拭いながら入店してきた彼は、思ったとおり電車で来たという。軽い世間話の後、早速打ち合わせを始めたが、何とも複雑な心境だった。

1時間ほどのあいだに出会った二組のご夫婦(奥様)は、どちらも礼儀正しく、人柄も良い方たちだと思う。何よりお子さんへの愛情ももちろんある。しかしここには見えない壁がある。 「日本で生きるにはいくらかかる?~年収、税金、退職金、子育てや住宅費の支出、年金まで全てを計算」で述べたように、子供を一人育てるには、育最低でも約2700万円が必要になる。

オール公立
大学は国公立
オール私立
大学は文系
オール私立
大学は理系
幼稚園から高校卒業までの教育費総額542.3万円1771.8万円
大学入学から卒業までの学費総額539.3万円730.8万円826.7万円
生まれてから大学卒用までの養育費約1640万円
合計約2722万円約4143万円約4239万円
「老後2000万円問題の本質は、大半の国民に「死」を突きつけたこと」より

電車内でお会いした若いご夫婦は、言うなれば、約5400万円の支払いが決まっている人たちと言えるのだ。彼らの実際の年収がいくらかはわからない。しかし、上記の記事で示したとおり、平均的な年収では子供二人を育てるのは不可能なのだ。

逆に、広尾で見かけた奥様たちは、経済的な不安はないだろう。仮に表に示したオール私立のコースを選んでも全く問題なさそうだ。彼女たちは、費用は問題ではなく、より質の良い教育に積極的に投資したがっていた。もう一人の奥様が医学部への進学についても話していたことからしても、恐らく子供の教育費が一人につき5000万円以上かかったとしても、それが普通だと思っている。

自殺行為か貴族の遊びか

再度言うが、どちらの方たちも人柄は良く、子供への愛情は深いのだ。どちらが正解ということもない。どのお子さんにも幸せになって欲しい。

しかし、日本の子供の貧困率は、2015年 のOECDのデータによると13.9%。実に子供の7人に1人は貧困であり、この数字は先進国の中では飛びぬけて高い。広尾のカフェで出会った奥様たちは、こんな数字は関係なく、圧倒的な財力で悠々と子供たちを育てていくのだろう。

別に美しい理想論を述べるつもりはない。しかし、ごく一般的な生活を送る若いカップルが、不安なく子育てできる環境は、最低限存在して欲しいと願うのだ。ましてや子供を2人もうけることで、経済的に破綻する家庭が続出するのでは、この国に未来などない。

そうでなければ、子供を生み、育てることは、「一般的な人にとっては自殺行為であり、裕福な人たちのみに許された貴族の遊び」と呼ばれる日が来てしまうのではないか。

打ち合わせ中に感じていた、何とも言えない複雑な気持ちの正体は、このやるせない想いだった。