金持ちは貧困に興味がない

サイト開設にあたり、編集部では何人かの人たちにインタビューを行っている。「老後2000万円問題の本質は、大半の国民に「死」を突きつけたこと」の記事を読んでもらい、ご自身の収入や家族、将来について、ざっくばらんに意見を述べていただくというシンプルなものである。

インタビューを行ったのは、編集部の人脈でお話しを伺えた20人程度。これはあくまで初期のフィードバックが目的で、大々的に行ったわけではない。しかし、そのインタビューを通して編集部が感じたことがある。今回はそれを記しておきたい。

(全員ご本人を特定できないようにする条件でサイト掲載の許可は得ている)

年収による思考の差

上記記事のテーマが収入とそれに伴う将来設計であることから、年収別にインタビューする方を選び、意見を伺うことにした。そこで、平均年収近辺(以下)の人たちと、高収入の人たち(最も低くて年収800万円の方。あとは大半が年収1000万円以上の方のみ)がほぼ半々となるようにし、お話を伺っている。

平均年収近辺やそれ以下の年収の人たちの意見は、

  • 衝撃を受けた。今は何とかなっているが、将来暮らしていけない。
  • メディアで報道は見たものの、ここまで(ひどい)状況とは知らなかった。
  • 投資しろと言われても、やったことがないのでわからない。

といったものが大半だった。ここは記事に書いたとおりの感想と言えるだろう。ごもっともである。

一方、高収入の人たちの意見は以下のようなものだった。

  • 実際の金額を知れて有意義だったが、それくらいはかかるだろう。
  • 社会保障制度には期待していない。収入は自分で何とかするもの。
  • 投資については、行っている方とそうでない方がいたが、全員関心度は高い。

高収入の方たちの方が、現実を的確に認識しており、ある種クールに対処しようとしているのがわかる。また、投資についても職場の先輩から話を聞いたり、銀行や証券会社から営業もかかるゆえ、リテラシーが高くなるようだ。「預金したってあの金利じゃ仕方ないでしょう。別の手段を考えるのが当然」と笑って答えていた。

インタビューさせていただいた人たちの業種は、平均年収近辺の方はやはり中小企業勤務やサービス業の方が多かった。高収入の方たちは、金融やコンサルといった大企業勤務、あるいはエンジニア、弁護士のような士業、そして経営者である。ただ、どちらも良い悪いはない。皆さん仕事に真面目に取り組んでいらっしゃる人たちだ。

しかし、様々な情報を入手する機会には、明確な差があった。高収入の方たちは、職場をはじめとして、様々な社会情勢に敏感にならざるを得ない環境にいる。上司や同僚とそういった会話をすることも多いそうだ。平均年収近辺の方たちは、スポーツやワイドショーのネタ等で盛り上がることが多く、心情的には理解できるが、あまり「(気持ちが)暗くなる社会問題のニュースは見ない」とのこと。金融や投資に関心がある人も周りにはいないという。

もちろん、インタビューした方たちの母数は多くないので断言はできないが、やはり日頃から経済や社会の情勢を勘案しつつ、どれだけ自分の将来を意識する環境にいるかによって、見解と行動に差が出てくるようだ。

年収による思考の差

自己責任論の浸透

インタビューでは、当サイトのテーマでもある「貧困」についてどう思うかも尋ねてみた。興味深かったのは、年収の多寡に関わらず、自己責任という認識が広まっていること。

先行き不透明な現代においても、十分な金持ちは別に問題ないだろう。ただ、そうでなければ、社会的な保護や支援に期待する率が高まるものと推察していたが、案外そういう意見は出なかったのだ。つまり、「貧困」になるのは、当人の問題だと考えている。

平均年収近辺の方たちでも、より高い学歴やより良い環境の職場を選べなかったのは、自分の力不足だと認識している人が多い。たしかに何でも自分以外の環境のせいにするのは良くないが、「失われた20年」や就職氷河期などは、日本経済の構造的な問題で、当人の努力だけではどうしようもない部分もあったはずだ。

そして、高収入の人たちは、より強い自己責任の意識を持っている。「収入は自分の力によるもの」という認識が強固だ。ただ、たしかにその認識が強固であるがゆえ、経済情勢にも敏感で、金融や投資の学習もし、多くの収入を獲得できているとも言える。

決して交わらぬ人たち

象徴的だったのは、「収入を高める努力をしているか」という問いに対しては、平均年収近辺の人たちと、高収入の人たちの答えは違っていたことだ。前者は「収入を高めるのに、そもそも何をするべきかがわからない」という答えが多かったが、後者は全員が日々行っていると答えた。

もう少し詳しく調べると、ここには構造的な差がある。平均年収近辺の方の場合、サービス業が多いため、収入を上げるには労働時間を増やす以外の選択肢はあまりない。職位が上がっても、極端に給与が増えることはないという。いわば労働集約型の業態なのだ。

一方、高収入の人たちは、高度な知識労働者が多い。また、インセンティブが高額である業種の人もいた。つまり、本人の努力と成果いかんで業績が変わり、給与にも反映されやすい、いわば知識によるレバレッジが効く仕事を選んでいる。

また、後者の人たちが揃って口にしていたのは、「仕事に求められる基準が高く、それを下回れば収入も上がらない(下げられる)」という認識だ。これが日々の努力を生む原動力になっているという。「職場での競争も激しく、(高い年収を保つのは)我々も大変なんですよ」と苦笑していた。

決して交わらぬ人たち

冒頭でも述べたとおり、今回のインタビューは多くの人を対象にしていない。しかし、収入の差によって、やはり問題意識のレベルや身を置く環境には、質的な差があることを実感した。

たしかに彼らが日頃目にするニュースや話す話題には差があるだろう。そして、職場の違いや収入の差から、出向く場所や日常的に使用するサービスにも違いがあるため、仮に彼らが出会ったとしても、話が合うこともないのだろう。実際、高年収の人たちは、日本の「貧困」については情報として認知していても、そもそも自分の周りが相応の年収の人たちしかいないので、実感は持てないと言っていた。

きっと収入の差は、付き合う人間のコミュニティの差になっていく。収入の多寡によって、決して交わらぬ人たちが生産されていくだろう。別に全ての人が協調するべきだという気はない。しかし、先述した自己責任論が今よりもっと強く浸透し、自分とその周囲以外には関心が持てない社会になっていけば、日本の貧困に一層拍車をかけることになるのではないだろうか。