記録的な被害をもたらした台風19号。未だ復旧のめどが立たない地域では、多くの住民が苦しい生活を余儀なくされている。一刻も早い復興を願って止まない。
しかし象徴的だったのは、多摩川氾濫の被害をこうむった武蔵小杉住民たちへのネット上での猛烈な誹謗中傷である。特にタワーマンション住民への「Disり」や「叩き」がひどい。
togetterより
常識的に考えれば、自然災害の被害者に対してこれほどの誹謗中傷があふれかえるのは信じ難い。東洋経済の記事では、環境問題や人権問題を積極的に扱う著作家であるレベッカ・ソルニットさんの言葉を引用し、「地震、爆撃、大嵐などの直後には緊迫した状況の中で誰もが利他的になり、自身や身内のみならず隣人や見も知らぬ人々に対してさえ、まず思いやりを示す」と書いている。
多くの困っている人がいるのだから、救いの手を差し伸べ、助け合う。これは人間として当たり前の行為だろう。ところが、今回の武蔵小杉の件ではそうならなかったのだ。
貧困の怨嗟が武蔵小杉タワマン住民に向けられた
ではなぜ武蔵小杉のタワマン住民がこんなに叩かれるのだろう?思うに、多くの日本人が内在的に抱えている貧困に対する怨嗟が、一斉にここに向けられたからではないだろうか。
武蔵小杉といえば、近年一気に再開発が進み、タワマンが多数建設されたイメージがあるだろう。都心へのアクセスの良さから住民は増え、いわば「ブルジョア」な人々の居住地としてのイメージも定着しつつある。
しかし、「日本で生きるにはいくらかかる?~年収、税金、退職金、子育てや住宅費の支出、年金まで全てを計算」でも述べたように、多くの国民の収入は未だ低く、生活は楽ではないのだ。生活にゆとりを感じられない多くの人たちからすると、身も蓋もない言い方をすれば「金持ちは、自分たちとは違う鼻持ちならない連中」と映っても仕方ない。
貧すれば鈍するといったありふれた格言を引用する気はない。現在、多くの国民が感じる生活の苦しさは、日本社会の構造的な問題でもある。 事実、OECD加盟国の中で、日本の経済成長率は最下位である。 30年かけて経済が立ち直らない先進国は日本くらいなのだ。
自分たちは困っているのに、豊かな連中がいるなんて許せない
大半の国民は、日頃から多くの経済的ストレスを抱えているのではないだろうか。頑張っても給料が上がらない、生活費を切り詰めなくてはならない、今後の将来が不安…等々、これらのことを日々感じているというのは、実はとんでもないストレスである。実際、金銭問題に関するストレスが人間の見た目を最も老けさせてしまうという研究もある。通勤電車に揺られるサラリーマンたちが、どこか虚ろに見えるのは、これが原因なのではないかと思うほどだ。
多くの人は、別に大金持ちになりたいわけではないだろう。しかし、仕事に一生懸命努めても給料が上がらない、生活が楽にならないとなれば、「どんなに頑張っても報われない」という意識が長きにわたりインプットされてしまう。さらに上記の通り、社会の構造的な問題もあるため、自らの努力だけではいかんともしがたい部分もある。これは想像を絶するストレスである。
このような「何かを為そうとしてもどうにもできない」という意識が蔓延すると、それは社会に対する大きな不満となり、やがて怒りに変わる。多くの生活が苦しい国民は、きっと猛烈な怒りを内在している。今回の武蔵小杉のタワマン住民に向けられた誹謗中傷のみならず、ネット上にあふれかえる「Disり」や「叩き」の原因は、この解消しようのない怒りが呪詛になって表れたものではないだろうか。
「自分たちは困っているのに、一方で豊かな連中がいるなんて許せない」。そう思う多くの人にとって、嫌な言い方だが「武蔵小杉タワマン住まいの気に食わないブルジョア連中が困る姿」は、格好のストレス解消の材料となってしまった。こうなるともう叩き放題である。
市街地に流れ出た汚水は、吐き出された貧困の怨嗟にも見えるのだ。