二極化が止まらない
多くのメディアも報じるように、日本は二極化が進んでいる。貧富の差は拡大し、富める者はますます豊かになり、貧しい人はより貧しくなっている。格差が明確に拡大しているのだ。
実際にデータにもそれは現れている。所得の格差、不平等さを表す代表的な指数であるジニ係数を見てみよう。3年ごとに公表される厚労省の平成29年所得再分配調査結果(令和2年は調査中止)を見ると分かるが、日本のジニ係数は0.37(※)。OECD各国のジニ係数の推移を確認すると、日本は上位におり、格差が大きいことがよくわかる。日本より格差が大きい先進国はアメリカやイギリスくらいしかない。
OECD各国のジニ係数の推移(厚生労働省より)
※ジニ係数は0~1の間。1に近づくほど格差が大きい。等価可処分所得のジニ係数を表示。
また、教育や生活環境も含めた各国の子どもの格差を分析しているユニセフのデータを見ると、日本の将来を担うはずの子どもたちの格差は、OECD加盟国41か国中34位と実にワースト10に入ってしまう。それだけではない。貧困率も深刻な状況である。
貧乏な人はより貧乏に
同じく3年ごとに発表される厚労省発表の2019年国民生活基礎調査を見てみよう。ちなみに日本の場合、途上国のように食料に困るほどの難民が大勢いる国ではない。このような貧困を絶対的貧困という。それに対して、先進国で貧困率の算出に用いられるのは相対的貧困である。これは世帯の所得が、国民の可処分所得の中央値の半分(これを貧困線という)に満たない状態を指す。
日本の貧困率の状況(厚生労働省)
年 | 相対的貧困率 | 子どもの貧困率 | ひとり親世帯の 貧困率 | 可処分所得 中央値 | 貧困線 |
---|---|---|---|---|---|
1985 | 12.0 | 10.9 | 54.5 | 216 | 108 |
1988 | 13.2 | 12.9 | 51.4 | 227 | 114 |
1991 | 13.5 | 12.8 | 50.1 | 270 | 135 |
1994 | 13.8 | 12.2 | 53.5 | 289 | 144 |
1997 | 14.6 | 13.4 | 63.1 | 297 | 149 |
2000 | 15.3 | 14.4 | 58.2 | 274 | 137 |
2003 | 14.9 | 13.7 | 58.7 | 260 | 130 |
2006 | 15.7 | 14.2 | 54.3 | 254 | 127 |
2009 | 16.0 | 15.7 | 50.8 | 250 | 125 |
2012 | 16.1 | 16.3 | 54.6 | 244 | 122 |
2015 | 15.7 | 13.9 | 50.8 | 244 | 122 |
2018 | 15.4 (15.8) | 13.5 (14.0) | 48.1 (48.2) | 253 (245) | 127 (122) |
※単位は%、2018年のカッコ内はOECDの新たな所得定義基準による数値。
見てみると分かるように、日本はバブル経済が崩壊後、相対的貧困率がじりじりと上がり、2000年以降はずっと15%~16%の間を行ったり来たりしている。よく考えると驚きの事実ではないだろうか。10人の人が集まれば、そのうち1人か2人は貧困というのが今の日本なのである。
さらに、可処分所得中央値の遷移を見ていただきたい。バブル期まで順当に伸び続け、300万円近くあった可処分所得は、2000年以降じりじりと減少し、2018年はOECDの定めた新基準で算定すると245万円と、実に50万円以上減っている。つまり、ほとんどの国民にとって、使えるお金はこの20年で50万円も減少したのだ。
もっと深刻なことがある。ひとり親世帯の場合の貧困率はとんでもなく高い。ほぼ半数が貧困という忌々しき事態である。最近はメディアや書籍でもシングルマザーの惨状を訴えるものを目にするが、これはデータで見ても紛れもない真実なのだ。ひとり親世帯は半数が貧困であり、彼らの可処分所得は月に10万円ほどしかない。これでは生きていけないだろう。
各国と比較しても、OECDの貧困率データからわかるように、日本の貧困率は40か国中14位と高い水準にある。日本より貧困率が高い先進国は、アメリカや韓国くらいなのである。
金持ちはより金持ちに
しかし、こんな惨状とは裏腹に、より裕福になっている人たちもいる。下記でも述べたが、多くの資産を保有する富裕層は、この間により豊かになっているのだ。
記事に書いたとおり、2017年時点で、富裕層に定義される上位2%程度の人たちが、全世帯の資産の2割近くを保有しているのである。もはやかつて言われた「一億総中流」の日本は存在しない。
コロナでより二極化が進む
しかし、二極化はこれからもっと進むだろう。言うまでもなくコロナウイルスの影響によってである。東京商工リサーチの調査によれば、今年の8月までで休業や廃業に追い込まれた企業は3万5千社以上と、計測史上過去最多。解雇された人は9月下旬で6万人を超えている。実に1ヶ月を待たずして、1万人も失業者が増えているのだ。
経済面での二極化
このような状況でまず真っ先に解雇されてしまうのが、パートや非正規雇用の人たちである。少し前に、コロナウイルスの影響で業績が悪化した東京ディズニーランドが、契約社員たちに半年で収入22万円の条件を提示したと話題になったが、たとえ雇用されるにせよ、どの形態で就労するかにより、大きな差が出てしまう。
どんなにやる気があっても、パートや非正規雇用となった場合、会社の状況に著しく左右され、あっさり解雇されてしまう恐れがある。ここでは立場を守られている正社員との二極化がより鮮明になるだろう。
さらに、業種によっても二極化が起きる。上記の例でも、飲食や宿泊、小売業といった業種を中心に倒産や解雇が進んでいる。「人と接すること」を主とする業種は、コロナ禍には著しく弱い。反面、人と接しなくてもテレワークやリモートワークで仕事が進むIT関連などの産業は強い。
実際、2020年4月~6月期にAmazonは過去最高益を叩き出した。その額は実に5500億円である。同社CEOであるジェフ・ベゾスは世界一の金持ちであり、その資産は20兆円を超えている。ベゾスだけではない。IT企業の巨人を率いるビル・ゲイツ、ザッカーバーグを始め、アメリカの長者番付に名を連ねる643人の総資産は、このコロナ禍において3割近くも増加し、88兆円にまで膨らんだのだ。
(Newsweekより)
飲食や宿泊、小売業というのは労働集約型の産業で、そもそも効率性を上げられず、結果として給料も安くなる。それに比してITやコンサルティングなど、高度知的労働者たちが従事する業界は給料が高い。つまり、人に会うことを主とする労働集約型の産業は収益力が低く、情報活用スキルや専門的知見を求められる高度知的産業は収益力が高い。言うまでもなくコロナ禍で有利なのは後者だ。間違いなく業種による二極化が進むことになるだろう。
しかし、考えると皮肉なものだ。皆さんも先に挙げたAmazonをよく利用するだろう。その商品を配達してくれる人たちは、決して給料は高くない。家でレストランの料理を食べられるUber Eatsも同様だ。ユーザーはスマホで注文するだけで良いが、配達してくれるのは配達員の人たちである。さらに医療や介護といったエッセンシャルワーカーの人たちもまた、コロナウイルスの恐怖がすぐそばにありながらも、サービス提供に勤しんでくれている。
家で悠々とテレワークで仕事をしつつ、便利なサービスを利用できるのが豊かな人たちで、その人たちに対し、コロナのリスクがありつつも、サービスを提供する人たちが豊かではないというのは、社会の歪みを感じざるを得ない。
精神面での二極化
二極化は、このような経済面だけの話ではない。実は思考や感情面でも二極化は起こると思っている。
現在のコロナ禍は、発生してからすでに半年が経っている。人々の意識も二分化し始めているのではないだろうか。ここには「コロナを警戒する人」と「コロナを警戒しない人(したくてもできない人)」という二極化が生まれている気がしてならない。
実際、コロナウイルスを警戒しない人は以前よりも多く見かけるようになった。都心の街中でもマスクを付けない人もいるし、夜の街や飲食店に出かける人もいる。また、学校や会社も再開され、自ずと以前の日常に戻りつつある人も多い。
このような人たちは、恐らく自分自身や身近な人が感染しない限り、コロナウイルスを十分警戒した日常にはなりづらく、やがてコロナウイルスへの警戒感も薄れていくだろう。
反面、コロナウイルスを警戒する人たちは今でもしっかり警戒し、外出も最低限にしている。前述のとおり、彼らはそれが可能になる仕事であったり、財力を持っている。海外でもセレブたちは人の多い都心を離れ、別荘に避難したり、そもそも富裕層の邸宅は広大な敷地があるため、自宅に「籠城」でも良いのだ。
この二者は、どうやっても交わることがない。「リスクを回避できる豊かな人たち」と「リスクを取るしかない貧しい人たち」では見ている世界も、自分が存在している社会も違うのだ。コロナウイルスへの警戒感の違いもまた、お互いを一層遠ざける。これは価値観の二極化をもたらす。
ゲーテッドコミュニティ
仕事や経済力、そして思考や価値観まで異なる人たちは、一緒にいるのは難しい。いや、もはや苦痛ですらあり、むしろ別々に生活した方が快適かもしれない…。実はこの発想はすでに顕現している。
皆さんはゲーテッドコミュニティをご存じだろうか。これを「要塞町」として紹介している動画がわかりやすいが、富裕層たちだけが集まり、周囲を壁で囲んだ街があるのだ。そこに入るには身分証や居住者の同伴が必要で、警備員もいる。アメリカには多くのゲーテッドコミュニティがあり、有名なサンディスプリング市などは、富裕層が中心となり、様々な公共サービスを自分たちが設立した法人に行わせることで、一つの市として独立してしまった。
貧富の差による二極化は、お互いが物理的に交わることをも避け、街すら完全に別々にするようになっているのである。
これはアメリカのことだと思うだろうか。実は日本にもゲーテッドコミュニティは存在する。2008年の朝日新聞の記事をご覧いただきたい。(クリックで拡大)
メジャーなベルポート芦屋のほか、マザービレッジ岐阜、東京都心の広尾ガーデンフォレストやグローリオ蘆花公園などが紹介されている。これら以外にも高級リゾート地の軽井沢にあるブランシャール、長崎ハウステンボスのワッセナーなども有名だ。
もちろん日本の場合は、アメリカとは法律が異なるので、前述のサンディスプリング市のように、居住者が公共サービスを完全に民営化するといったことはできない。しかし、日本にも富裕層限定の場所がすでに存在しているのである。
朝日新聞も報じているように、ゲーテッドコミュニティに対しては、社会的に問題視する声も多い。そこは隔絶された区域であり、近隣は全て自分と同等の経済水準なので、外の地域への関心が薄れ、思考的にもコミュニティ内の人と、外の人とで分断されてしまうのだ。つまりここでも二極化が起きる。
二極化の最終形は社会分断
冒頭の貧困率の話と、ゲーテッドコミュニティの話を見比べていただきたい。もはや同じ日本とは思えないはずである。ここまで貧富の差は拡大し、二極化は顕在化している。
もちろん、誰もが平等に幸せなユートピアを実現せよなどとナイーブなことを言う気はない。資本主義である以上、ある者は富み、ある者は貧するのは避けられない。
つい先日、コロナ禍における覇者の一人であるGoogleは、本社のあるサンフランシスコでは生活費が高いこと、また、テレワークでは限界もあるという理由から、従業員のために都市そのものを建設する計画を発表した。
ここはゲーテッドコミュニティではないだろうが、富める勝ち組の企業に勤める従業員ならば、コロナウイルスの深刻な影響で倒産が相次ぐアメリカでも、苦しむ他の企業や従業員をよそに、さらなる発展と好待遇を得るのである。富める者はますます富み、貧しくなる者はますます過酷な環境に追いやられる。
何十年もかけて明らかに日本の二極化は進行し続け、このコロナ禍によってそれは決定的なものとなる。「健康上のリスクを回避しつつ豊かになり続ける人たち」と「健康上のリスクを取るしかなく貧しいままの人たち」というあまりに残酷な二極化が進めば、社会は荒廃する。いつか暴動すら起こるかもしれない。
この状況を見据えて、富裕層たちはまた自分たちだけの閉ざされたコミュニティに籠り、コロナウイルスの影響を回避しながら発展し続けるのだろうか。対照的に、コロナに怯えながら、対価の安い仕事に就きつつ、貧しくなっていく人たちも増え続ける。
少子高齢化も明らかな日本では、今後経済状況が上向き、多くの人がそろって豊かになることはないだろう。だからユートピアを望もうとは思はない。しかし二極化による社会分断が進み、互いに相手を理解しない歪んだ社会にだけはなって欲しくないと、心から願っている。